健康のための食事

ハワイの刑務所に収監された料理人

ハワイの刑務所に収監された料理人

ハワイ=アメリカ合衆国の一州。

入国する際には、肉類、肉のエキスが入った食品(日本は狂牛病感染国ゆえ)の持ち込みが禁止されている。

他にも乳製品、卵製品なども禁止されている。

当然、入国する際に入国カードに持ち込んでいる食品などを記載しなければならない。

仮にウソをついて入国しようとしてCBP=United States Customs and Border Protection(米国国土安全保障省税関国境取締局)のスタッフに呼び止められて中に持ち込み禁止物が入っていると、通常は5万円~11万円位の
罰金を支払い入国する事になる。

そー、何を隠そう、僕自身がここでCBP職員に捕まったのである。

「何で捕まったか?」それは、2017年5月のゴールデンウィーク、この時僕はとある東京都下にある住宅建設会社の会長のパーソナルシェフをしていた。(会長は奥さんと同居しながらも、ゴルフに行かない限り一人で食事をする)

この会長ゴールデンウィーク、年末年始などはハワイのホテルで過ごす事が行事になっていてこの時も僕より3日ほど早くハワイに入国していた。

普通ならハワイのレストランで悠々自適に愛人と食事でもすれば良いものを何故かお抱え料理人を呼び寄せるのが慣習になっていた。

ここで、僕が会長から言われたのが、「焼く前の生の亀戸餃子を10人前持ち込め!」と言う事だった。当時秘書をしていた方が元ANAのCAだったこともあり、「会長には、もし横田さんが捕まったら二度と横田さんはアメリカに入国できないからやめた方が良いです」と会長に念を押していたにもかからわず、指令を出したという。

他にも、国分の缶詰を20缶(松坂牛大和煮)も購入して持ってこいとのこと。

全て、持ち込み禁止食材。

会長曰く「俺もいつもスルーだし、ほとんど捕まらないから宜しくな」と。

なら大丈夫か、と、亀戸まで行き並び、しっかり購入してスーツケースとクーラーバッグに詰め込み成田発ホノルル行のKorean Airに乗り込み、到着後直ぐに買い物に行き食事を作る予定だったので機内ではアルコールも控えたつまらない旅路でした。

そして機内では入国カードに「no」ばかり付け準備万端。

いよいよ、ハワイに到着、イミグレーション(入国審査)を無事顔写真撮影などパスして、「Aloha!」となる予定でした。

「さー行くか」と歩き出した瞬間、黒い制服の中国系ハワイ人の職員が声を掛けてきた。

「ん!」「これは!?」と思った瞬間、「What is in your bag?」と言われ「I forgot」「can I open my bag?」と答えると「No!」「come!」と。

ステンレス張られた台にスーツケースを乗せられ、再度「What is in your bag?」と聞いてくる。しょうがないから諦め「包丁とコックコートと食材が入ってる」と答えると「何しに来た?」「働きに来たんだろ」と言われたので「パーソナルシェフをしていてその人間の食事を作りに来た」と言うと「どこで作るんだ?」と言うので「ホテルのキッチンだ」と答えた。この直後に通訳の日本人が来て、早口で通訳にまくし立てていたのを覚えている。そのあとで通訳から「何でウソをついたのか?聞いている」と言うので「持ちこんではいけない食材が入っていたからだ」と答えると通訳とのやり取りがあり「最悪、一日刑務所に収監になることもあるから、今からはウソをつかない方が良いので気を付けて下さい」との事。

そして、別室に連れていかれ、携帯、荷物を預けさせられ、罰金を払う人々をよそ眼にしばらく(2~3時間)座らされ、「お前の知り合いの会長のホテルに連絡するから電話番号を言え!」と言うので手早く教え、スピーカーフォンで話し始めた。初めに一緒にいる愛人が出たらしく「あなたは誰?」とCBPの職員が言うと「~の知り合いです」と答え「∼会長は居るか?」と問いかけると電話口に聞き覚えのある声の会長が出て「your friend just now here!」とCBPの職員が言うと会長は「I can’t speak English!」とイケしゃあしゃあと答えた。この時初めてスピーカーフォンにしていた意味が少し分かった。CBP職員が僕の顔を見ながら首をかしげて残念そうな顔をしていた。

結論。「お前の知り合いは英語がわからないそうだ」と言うので「日本にいる会長の秘書が英語が出来るので日本にコールしてくれないか?」と訴えると「NO! ハワイにいる知り合いで無ければだめだ!」と。この時に「もう、この仕事はやめよう!」とハッキリ決めた。

更にそのあと4時間ぐらいいただろうか、「カップラーメンがあるけど豚骨がいい?シーフードがいい?」と聞くので「コーヒーとシーフード」と伝えると大きなカップにコーヒーとカップラーメンがきた。エアコンがかなり効いていたのでこの時の温かいものは身体にしみた。

食べてから1時間位したころだろうか、別の職員2名が来て、「靴の紐とベルトを外して渡せ!」というので素直に渡した。(要は簡単に逃げられない様、走る時に靴が脱げ、ズボンがずり落ちるようにする為だった)

更に別の部屋に連れていかれ、CBP職員と1:1になりスピーカー越しに通訳の女性が入った。

「宣誓をしろ」と言うのでよく映画で観ていた裁判員裁判の宣誓を思い出し、右手を上げて宣誓をした。

CBP:「何でウソをついた!」僕:「持ちこんではいけないモノを持っていると分かっていたから」CBP:「ウソが一番罪が重い」僕:「わかりました」CBP:「お前は二度とESTAを取得できない!」僕:「わかりました」CBP:「ただし、絶対に入国出来ないわけではない」「その時々によって変わるがビザを取れれば入国できるかもしれない」僕:「わかりました」とやり取りが進み、署名させられ、その部屋を後にした。

部屋を出るとさっきのCBP職員2名が廊下で待っていて、「壁に手を付けろ!」と言うので壁に手を付け「足を大きく開け!」と言うので従った。すかさず後ろ手にとられ手錠がはめられ、人生初の手錠はかなり痛いと感じる。

そのまま歩かされ、後ろ手にされながら空港の裏口を出て護送車に乗せられ、あまりに手錠が痛いのとクーラーがアホのように効き過ぎていたので「手錠を少し緩めて、クーラーを止めてくれ」言ったら手錠を少しだけ緩めて、クーラーもOFFにしてくれた。

刑務所に護送中「お前、何やったの?」と聞くので「ミート(肉)を持ち込んだ」と言うと「それだけか?」と聞くので「そうだ」と言ったら二人とも顔を見合わせて、「お前はアン・ラッキーだな」とボソッとつぶやかれた。不思議だがこの時何故か?「アン・ラッキーだな」と感じずむしろ少し気が安らいでいた事を覚えている。それはそうだ、自分の雇った人間を保身のために裏切る人間に料理を作らなくて済むのだから。

刑務所に着き、職員が出口外にある電話で話し、シャッターを開ける様に指示し10分位したらシャッターが開き護送車と共に刑務所入りし、直ぐに鍵のかかる個室に入れられ、待たされた。(ここがホノルルの連邦拘置所=Federal Detention Center Honolulu です)下の図が、拘置所の入り口と言うか待合場所

30分ぐらいした時に呼び出され、医療系のユニフォームを着た職員がベラベラ喋って来たが、全然わからず、パソコンに打ち込んでgoogle翻訳にかけたものを見聞きしてツベルクリン反応の注射をするからとの事で直ぐその場でアルコールでパパっと拭き注射を打たれた。

さらに、刑務官のいる前で素っ裸にされ、よぼよぼのタオル生地の薄こげ茶いろの囚人服を着せられ、靴はよぼよぼの室内履きの様なもの、そしてグルグル巻きになった毛布、トイレットペーパー2個、髭剃り、歯ブラシ、ジャム(くそ甘い)胚芽パン4枚(不味い)を渡され廊下の隅を歩かされる。(まるで「ショーシャンクの空に」のモーガン・フリーマンさながらだった)

廊下の隅の通路のところどころにセンサーのあるゲートをくぐり(おそらく金属探知)エレベーターで地上4階くらいに上がった。

エレベーターでは出口に背を向けて立たなければならず、怒鳴る様に命令してくる。

そして、牢屋の入り口、中の刑務官と電話で話し、扉が開けられ、入った途端、頭に入れ墨の入った囚人たちが「New boy friend?」とほくそ笑みながら刑務官に話しかけてきた。(映画ショーシャンクの空にの中のティムロビンスか!」と本気でまずいところに来たな、と痛切に思う)下記の図が監獄全体

部屋は個室ではなく二人部屋、1階と2階があり僕は2階部分の牢屋、天井はマンションの2階くらいの高さで、明り取りの窓は部屋の内側に末広がりになっている30㎝四方のガラスに鉄格子、便器がむき出しで入口にあり、二段ベッドと洗面器、小さな本棚があるだけの広さ3畳くらいだった。クーラーはガンガンに効いていて周りのコンクリートがキンキンに冷えていた。下の図がジェイと一緒になった牢屋

部屋の囚人はジェイと言うコカインの密輸で11年の刑期中、気さくな奴で、「俺はバッドパパなんだ、子供の面倒も見ずコカインやってたから」とぼやき、ゴミ箱に用意していた氷を「好きな時に飲んでいいからな」と気を遣ってくれ、その場で小便をしていた。(汚いゴミ箱に入っていた氷だったが、彼にとっては監獄の中の目一杯のおもてなしだったと思う)僕はお礼にジャムをあげた。

夜9:00ごろだろうか、「ビィーー!」というブザーが鳴り二人部屋の鉄の扉が一斉に「ガチャン!」と鍵がかかった。

同部屋のジェイはいい奴だったが、夜中に襲われてはかなわないと思い、腰だけに毛布をグルグル巻きにしてお尻をコンクリートの壁に付けて薄っすらと眠りに入った。

すると、その30分後くらいだろうか、看守がいきなり扉を開けて入ってきた。僕は何ら関係ない顔で寝ていると懐中電灯を当てられ、その瞬間ジェイが「stand up! hurry up!」とまくし立てるのでベッドの上で起立したら、再度懐中電灯を当てられ、看守は黙って出て行った。ジェイ曰く、点呼の時は直ぐに起立して対応しないと叱責を受けるらしい。

中々寝付けず、ウトウトしていると明り取りから朝日が少しだけ差し込んでいた。するとまた「ビィー-!」と言うブザーが鳴り響き、「ガチャン!」と扉の鍵が一斉に開いた。「あー、果たして俺はホントに1日だけで出所出来るのだろうか?」と思いながら2階からコンクリートの階段を降りていくと、体重は僕の2倍くらい身長は180㎝以上の全員入れ墨の入った囚人が何人かたむろしていた。僕は始めコンクリートの階段に「日本人をなめるなよ!」と言う気持ちで座っていると食事が運ばれてきた。すかさずその中でもリーダーっぽい猛者が「hey! go ahead!」といい食事を一番最初に食べろと言ってくれた。僕はこの時「何か、いやがらせでもされるのか?」と思いつつも腹ペコだったので「OK,thanks」と言って頂くことに。中身は味の全くないオートミール、物凄く甘ーいカステラみたいなもの、それと牛乳だけだった。食べ終わっても何もいやがらせの様な事はされなかった。(同じ穴の中のムジナの所為かも知れないが、日本人より温かみを感じずにいられない心境だと覚えている)

「あーやっぱり1日じゃ出られないのか」とかなり不安になりながらもどこにも連絡できるわけじゃ無し、誰かに助けてもらえるわけじゃ無し、「んじゃ、部屋でゆっくりするか」と思い、部屋に戻り歯磨きしていると表でかすかに「yoko」と言っている声がした。すかさず2階の僕の部屋の真向いの囚人が「Yoko!」と大きな声で僕に叫んでいる。「ついにいやがらせの時か」と来るなら来い!と思いつつ部屋の外に出ると「name tag!」とさっきの囚人が胸を指しながら叫んでいる。そう僕以外は何か月も何年も収監されている囚人なので名札を付けていないとまずいらしいが、僕は1日だけなので名札が無かった。なので持っていないジェスチャーのアピールした。すると1階部分の入り口で看守が「Yoko! come!」と言っている、そこにはすでに4人並んでいた。(この4人もその日に出所)「あ~出られるかも知れない」と思い、鉄の扉を出て看守の後について行き、また廊下の隅を歩かせられ、来る時と同じように探知機のゲートを通りながらエレベーターに後ろ向きに乗り、元来た入口まで連れていかれ、6人部屋位の鍵付きの鉄格子の中に4人の囚人と一緒に何かを待つように指示された。

この4人はアラブ系っぽい感じの囚人でその内の一人がやたらと、9・11(ナイン・イレブン)の話しをしていて「fuck in bomb」「fuck in guy」と叫んでいた。

小1時間しただろうか、看守が来て「come!」と言ってくると、アラブ系の囚人がここでも「go ahead」と一番最初に促してくれて看守についていくと来た時に素っ裸にされたところに入り、着てきた服を手渡され、「着替えろ」と言う。

着替え終わると外には護送車が入り込んできていた。その護送車に乗せられ空港に戻され、空港で靴紐、ベルトを返してもらい、しばらくすると荷物も持ってきたまま(中身は思いっきり調べられた跡があったが)戻され、日系3世のCBP職員の案内の下、またKrean Airに乗るために案内してくれた(後で分かったが、これは案内ではなく、逃亡して密入国しないように監視のためについてきていたのでした)

到着ゲートまで行くまでに色々と話をして、「横田は、すごいレアな例だよ」「肉を持ち込んだだけで収監なんて無いからね」と言って同情してくれていた。

ほどなくして、出発ゲートに着き待っていると、来た時に同乗していたCAがぞろぞろと来て、「wa-」と言って手を振ってくれた。(覚えていてくれたようだ)だが、機内にはCBPと一緒に一番最初に乗り込むことになっているらしく乗り込んだ瞬間、さっきのCAから白ーい冷たい視線で見られることに。分かっていた事なのでなんてことないと思い、CBP職員に「帰りのこの機内でお酒飲んでいいの?」と聞いたら「No problem」と返してくれた。

べろんべろんに飲みまくり成田に着いた。到着ゲートを出た時、社長と会長専属の運転手が迎えに来ていた。
開口一番「本当に申し訳ない!」と陳謝を受け「社長が悪いわけじゃないです。無責任な人間は一人だけですから」と言うと、社長は「横田さん送って行きますよ」と言うので「もう、今日は気軽に帰りたいので、お気持ちだけ頂きます」と返し、速やかに成田から出て自宅に向かった。

「もう、このパーソナルシェフはやめよう」と再度日にちを決めて社長に会い「あんな、卑怯な人間の為に健康を気遣った料理なんか作れません!」と退職を切り出し、了解を得た。

「実は今回の件で僕もけじめをつけようと、会長から会社を切り離して、いわば独立した会社にすることにしました」「金の使い方はめちゃくちゃだし、会社のお金は使ってしまうしホントたまらない」と言って「本当に情けないし、申し訳ありません」と再度謝罪され、その2週間後退職した。(この社長は会長の甥っ子にあたる人である)

偶然にも2017年5月4日の成田発ホノルル行きの飛行機に乗るこの日は、僕がスイスに行っていたため遅くなってしまった親父横田一郎の17回忌で、坊さんが約20分間の読経している中、ずうーっと親父に「今日からのハワイ行きが何かの出来事で中止になります様に!」と唱えていた。
結果、この願いが通じ、なんと!本当に中止になった。

この時、あらためて親父の力に驚きそして感謝した。「さすが尊敬する父横田一郎だなと」

因みに、卑怯なこの会長はハワイを出国する際にひどく怯え、弁護士と話しをして何とか日本に帰国できるようにお金をつぎ込んでいたようです。

万が一アメリカに入国する際、禁止物品を持ち込んでいた時に捕まった場合は、その瞬間に真実を語りましょう。

そうすれば、ほぼ罰金で済むはずです。

結論

根本、僕も知った上で、安易に違法な仕事を引き受けた罰だと、今は反省と自戒の念を忘れずに前進しています!

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