ギランバレー症候群に実際なってみた時の記憶
※ギランバレー症候群とは:
筋力が速いスピードで低下する炎症性多発神経障害
ギランバレーと聞いても医療機関で働いていない方で分かる方も少ないと思います。
端的に言いますと、 、ある抗体が人間の自分の末梢神経を攻撃する 。特徴として左右の四股から同時に筋力が無くなってきて、首から下の力が入らなくなり、最後に呼吸が苦しくなるが治る可能性の高い神経疾患。患った有名人→大原麗子さん、安岡力也さん
ギランバレーになった経緯
今だ原因がわかっていない疾患ですが、僕の場合は、27歳の時でギランバレーになる10日前くらいに40℃くらいの高熱が出ました。その後風邪くらいで休むなんてありえないと思っていたのでそのまま仕事(フレンチの料理人)をする。2,3日したら熱も下がり平気で生活していた。
熱が出てから8日目AM10:00ごろ 突如睾丸が痛くなり病院へ行くと「副睾丸炎」と診断。
その日抗生物質を処方され飲んだ。
翌日15:00ごろ仕事場に行き仕込みをして賄いを作り食べる。
17:50ごろ何となくお腹に力が入らない様な感じで、包丁を持つ手に力が入らなくなった。(よく大笑いした後に手に力が入らなくなる様な)
20:00ごろあまりに力が入らなくなり仕事にならないので「帰らせてください」と申し出して西麻布の交差点近くの仕事場から乃木坂まで歩いている途中、どんどん力が入らなくなり途中休み休み40分くらいかけて何とか乃木坂駅に辿り着く。(何時もなら10分くらいの距離)
21:00ごろ柏方面の千代田線に乗車。座れる。
22:00過ぎ南柏駅に着くも、降りるときに上手く歩けず這いながら車両の外に転がり出る。
時間をかけ立ち上がり、気合で自宅に帰る。(普段は10分くらいの道のりを1時間くらいかけ)
この後余りに疲れていたのですぐ寝る。
翌朝10:00ごろ話すのにも力が入らず休みの連絡を携帯電話でする。(ボタン押すのも息苦しい感じ)
11:00ごろ当時有った親父の車でブレーキだけに足を乗せ、腕をハンドルにかけ、スーパーのろのろ迷惑運転で副睾丸炎と診断された病院に行く。到着時刻13:00ごろ。
診察されるも健康そうな顔をしているので、続けて抗生物質を飲むように指示される。
14:00ごろ帰る気力なく大嫌いな交番(POLICE BOX)の扉を開け倒れこむ。
即救急車が来て乗る、その時「過呼吸」ではないかとの診断。
病院で点滴を1時間くらいかけ帰宅を促されたが、流石に「何か危険な病」と自己診断。
一時間ほど考え、病院に宿泊依頼する。(普通は入院という)
翌々日に神経内科の担当医師が来るという事で、その日まで何とか気迫で持ちこたえる。
深夜、筋ジストロフィーではないかとまた自己診断。
翌々日10:00ごろ診察、ベッドの上で反射などみられ、その時自ら筋ジストロフィーではありませんか?と問いただすと、医師「近親者に罹った方はいますか?」の問いに「いません」医師曰く「それは遺伝が大きい病です」「なのでおそらくギランバレー症候群ですが、人工透析して回復しなければ対処出来ない重い病の可能性もあります」と。「二日後から透析に入ります。何か心配事は?」の問いに「貯金もなくお金もない事」(まるで漫才ですが、!)
医師「そうかぁ、それじゃ保険適用の最大限可能な範囲の回数の透析で行きましょう」と真剣対応。
と、これがギランバレー症候群発症の経緯です。
その時の気持ち
不思議なもんですが、診断前の深夜、死ぬ病だと覚悟した時は全く怖くなかった、が、診断でギランバレーは治るが他の病は治らずそのまま、もあるかも知れないと分かると生きたいという気持ちと恐怖心に苛まれる。そしてど根性を見せる17日間がはじまる。
完治した後に調べたところ、結構後遺症の残る方も多いと知る。
入院2日目
原因、病名まだ分からない状況。点滴を打って待つことに。夜中トイレに行きたくなり気合で行くも、トイレでパンツが履けなくなり、何とか履こうと試みたら倒れ起き上がれなくなり、恥ずかしさを堪え緊急予備ベルを押す。無事ベッドまで車いすにて運んでもらう。
入院3日目
朝二人の医師がベッドの脇にきて「カテーテルを入れます」との事。
その施術をベッドに横になりながら「ジーっ」とみている僕。
僕一言「上手いもんですね、俺は魚に包丁入れて活かしておくことなんて出来ないのに」
医師「それが仕事ですから」とさらっと。
印象:カテーテルは痛痒い。
入院4日目
血漿吸着透析治療開始。
血液の中に潜んでいると思われる悪さをしている抗体を機械の中でくっ付けて除去して体内に血液を戻す作業。
印象:やっぱり痛痒い。そして退屈。眠気バンバン。
透析後心なしか何となく体が動くような気がする。(「ひょっとしたら治る病か?」)
この日食事が出る、お腹が空きすぎてたまらないけど、食べさせてくれる付き添いの人などいないため、看護の人に起き上がらせてもらって背中に布団を丸めて置いてもらい背もたれにして食べようとするが、ほとんど腕が上がらない。ここでも「ジーっ」と食事を見つめてヨダレを垂らす。
気合でパンにジャムをつけようとするが全く無理。首から上は案外動くのでスーパー犬食いでパンを食べ始める。その後疲れてあんまりにパンを見つめているので前のベッドの患者さんがジャムをつけて食べさせてくれる。起きてパンを見つめるだけで汗だく。
この日の深夜、「俺は生まれて赤ん坊の時にどうやって腕を動かし始めたのか?どうやったら動かせるのか?」と真剣に考えた、そしてイメージトレーニングを始める。
入院6日目
この辺から回顧記述が曖昧な部分もあり。
透析二回目、なんだかお腹(丹田=おへその下あたり)に力が入ってきたような、入らない様な感じ。透析室はテレビも観れるが、何となく退屈。
カテーテル内で血液が固まり医師が手こずる。
印象:猛烈にお腹が空く。でも食べるのに小一時間かかり、然も汗だく、水も飲ませてもらえないと飲めない。なので食事を片付けに来た看護の人に飲ませてもらうのが日課となる。
いつも汗だくなのでおしっこはあまり出ないが尿瓶をとっておしっこをするだけでも50分くらいかかる。イメージトレーニングのお陰?か何となく腕が動き出す。
親友、同僚、後輩がお見舞いに来てくれる。(あとで聞いたが、後輩は「もう横田さん終わったな」ともらしていたらしい)
入院8日目
透析三回目、この日くらいからホンの少しずつだが、明らかに体が動き出し、余計にお腹が減る。(動くといっても、スプーンが20分かけてようやく持てるくらい。病は気からというが本当だと確信。「精神は肉体をも超越す」)
印象:カテーテルを着けている腿の付け根が猛烈に痛痒い。体は動かないが内臓がすこぶる元気なので激烈にお腹が空く。この日の深夜も寝ながら赤ん坊の時をイメージして手を仰向けにして何かを握る事を頭に浮かべながら動かし続ける、ほとんど動かない。
入院10日目
透析4回目。
今まで首の力でしか身体を動かせなかったが体を横にするくらい何とか出来る様に。
透析結果順調。
印象:食べても食べてもお腹空く。食べる程痩せる(食べるときに早く食べたいので、動かない筋肉を気合精神で動かそうとするとすごいエネルギー消費になるため)
テレビのスイッチが自分で押し始められる。
入院12日目
透析5回目。なんと!自分でベッドのへりに何とか移動して座れる様になる。
丹田にようやく力が入り始めているのが分かる。でも汗だく。
印象:テレビを見ても笑えるくらい精神的にも回復。さらに気合が乗ってくる。
入院14日目
透析6回目。
調子に乗りまくりトイレに自分で歩いて行く。ふくらはぎの筋肉が猛烈に痛い。
後に担当神経内科医から聞いたが、血液中のCPKの値が激高しているとの事。
(CPKとは筋肉を融解する酵素が増えると高くなる値らしい)
転ぶと起き上がれない事を感じていたので、気合をいれて歩くが、転ぶのが怖い。
この日ぐらいから食べることはある程度出来るようになる。まだしっかりと箸はつかめない。
ずっとトイレに行けず手も洗えてなく気持ち悪かったが、この日から手が洗えてすこぶる気持ちいい。(のちの事になりますが、お地蔵さんに手を合わせる機会があるとお地蔵さんの手に水を掛ける習慣となる=手を洗えない気持ちがわかる為)
入院16日目
最後の透析。
歩くと相変わらずふくらはぎが痛むが気合で自主歩行訓練する。
丹田に目一杯の力が入る訳ではないが転ぶ怖さがなくなる。
ふと、入院費が心配になる。「すぐに退院だ!」と決める。
この日退院を申し出る。
入院17日目
無理くり退院する。
担当神経内科医の診察受ける。
担当医「なんでこんなに早く動けるようになったの?今まで見たことないから」の問いに「お金が無いからいち早く退院しようとした根性です」担当医「ははは(笑い)」
担当医「CPKの値が異常に高い、相当無理に体を動かしたんだね」「今後あまりにも痛い様なら直ぐに来るように」との宣告。
無事退院。
退院後
姉夫婦の家に2日ばかり居候。初日に退院報告にとロイヤルパークホテル箱崎にビーチサンダルで行くが、最後の地下鉄から出る階段が登れなくなり、このまま行くと迷惑になると判断し回れ右で帰宅。
家にいる親父(母と離婚して舌癌の予後の)が気になり、帰る選択をする。
この日真夏の暑い時期だったことを覚えている。ある意味温かさも速攻治癒に繋がったと思う。
この後、1か月半くらいまともに体が動かせず、仕事復帰は退院後およそ二か月たってからとなる。
感想
病は気からと言うのは、実感できました。(入院初日の寝ている最中、何かに足と手を押さえつけられる夢を見て、「南無阿弥陀仏」を唱え続けた、するとふっと身体が軽くなった記憶があります)
ちょっとスピリチュアルな事ばかりですが、事実この通りの事が起こったので他に言いようがない、というのが今の気持ちです。
治る病気ではあるらしいのですが、調べると後遺症に悩まされる方もいるので十分に気を付けたいところです。原因はカンピロバクターによる食中毒が一つと考えられています。(カンピロバクターとは:牛、豚、羊、鶏、犬、猫、鳩などの消化器官にいる細菌。症状:熱、頭痛、めまい、倦怠感など風邪に似た症状、鶏肉の加熱不足による感染が多くみられる。生肉に触れたまな板、包丁、手などをよく洗浄することがとても大切)
特徴
他の疾患は右左のどちらかの手足や右半身、左半身から病変することが多いそうですが、ギランバレー症候群は、珍しく左右同時に足から力が入らなくなることが特徴。僕の場合は高熱の後しばらくしてからの発症。似た症状があったらスグに検査治療を受けて下さい。早く治療に入った方が後遺症も少ないとの事を医師から言われました。
後記
料理人として生業をしてきて、またこれからも料理に携わる人間として生肉を触れる際には、その後の洗浄、殺菌を欠かさない事が大切と胸に秘めた時でした。
プロの料理人でも手を頻繁に洗う職人は、お寿司屋さんを除くとホントに少ない!というのが本音です。簡単に言うと不潔です。
料理人の方には、人の命に関わる仕事だという事を強く意識して頂きたい。
以上
ろくでなし徒然草